このサイトは工藤 伸の作品アーカイブとして作られました。2020年までの私の写真、彫刻等を記載しています。『表現』を意識して私が制作を始めた時期は2008年に遡ります。制作の拠点を日本からドイツへと移した事実による作品の変化等を時間の経過と共に掲載しております。また自己の確立、作品の変化、制作への動機付けなど、未だ私自身が変化していくように、ひとまず経過確認をするという目的でウェブサイトを制作する経緯に至りました。
まず始めになぜ自分の作品制作の中心が彫刻から写真の領域へと移行したのか書いていこうと思います。写真へと興味が湧いた事は重要な切っ掛けになりました。最近少なからず自分の制作に於ける制作の起源が見えてくるように思います。
その入り口としては物の「表面」についての興味だということでした。私は今、東京のダムとしても有名な奥多摩湖で見た光の反射を鮮明に思い出しています。少し靄が掛かった湖の奥に、瞬くように光の粒子が反射していました。それは、鏡面ではなく、湖面の動きに絶えず同調しながら光のモザイク画のようにその一帯だけ輝いていました。
耀く部分は少し輪郭を変え揺れ動き、少し眩しくも眼で追っていた事を私は覚えています。それは私が立っている空間とは異なる、何処か違う空間への入り口がぽっかり開いているかのように見えました。湖の反射という要素の中に自身の”気付き”となる感覚を覚えた事は今日でも忘れられない記憶となっています。
例えば、彫刻の素材でもある金属を触れている時、本来は硬くないのでは?と度々疑問に思いました。金属が地球の大気温で固まり、水と同じように固まらず、液体のように絶えず流れ出し、地球の中で流動しているという事実でした。実際マントルの下部、外核には流体化した鉄とニッケルなどが存在しています。高温に熱せられ溶け出した金属は美しく光りながら、重力を伴い上から下へと勢いよく流れ落ちます。例えば太陽を見た眼は熱くならないが、大量の金属が間近で溶けている瞬間は眼球、顔、身体と共に私を高揚させていきました。
しかしそれはまた直ぐに元の塊に固まっていきました。金属物質は地球には多く存在するものの、遥か遠いところから来た、未だ見たこともないような物を見ているような気持ちになりました。金属が溶解している光景はそのもの自体が唯変化しているだけでは無く、本来の姿を垣間見てしまったかのような強い衝撃でした。
私にとってその光景は原始的な或いは未知の物質との接触でもありました。あの湖面が反射していた光景とがその体験を通して、今=というこの瞬間に繋がりました。気付けば金属は形を変え一時的な形を形成して流動的に私の身の回りに存在していました。
同じように湖面の反射を写した「表面」というのは一つの入口のようなものでしかなく、入口は何重にも重なり(湖面が)多面的な空間を織り成して、絶えず開いたり閉じたりしています。私が見たあの二つ光景は、私の想像を超えた領域への入口として、私の興味であり続けています。後々それは彫刻に於ける<カービング(モデリンクの逆バージョン)>という方法に打ち当たる事になるのです。
表面をただなぞるように彫刻を彫っていたころ(ただなぞるようにカービングしていたころ 、問題として「物質の中心には何があるのか」という事を考えずには要られませんでした。
「表面」を削る事は自然と”中心”に向かう事になっていました。次の瞬間“中心”へと向かっていたベクトルは反転し、徐々に『存在』とは?という疑問と共に二つの概念を保ちながら真ん中へと進んでいるという事に変化しました。そして、”中心”に辿り着く瞬間、『存在』は無くなり(空洞 void)になっていました。
表面を形成している部分はその”中心”無くしては『存在』せず、物質の”中心”=『存在』=(空洞)として今だに宙に浮いたまま(自分の中に課題として残ったまま)、私に大きな課題としてまた存在しています。それは写真を制作する事も同じく「表面」→”中心”→『存在』→(空洞)という概念が日常や写真を撮るという行為のなかで自分のなかに付いて回るのでした。
写真もまた「表面」を無くしては成立しません。物質の「表面」を撮影する行為は、私が光をどこまで高い感度で捉えることことが出来るのか?という問いになっていました。(物を見る解像度のような気づき 細部までみれているかという気づき)抑もドイツの日照時間は少なく特に冬などはとても短く16時頃には太陽が沈みます。この事実によって、身近にある太陽の有り難みを貴重に感じることが出来ます。実際太陽光は人間の体にセロトニンとなる栄養物質を作り冬季鬱の解消にも効果があると言われています。私自身太陽への感覚は鋭敏になり、たえず今日は日が出るのか否か確認する事が多くなりました。
写真を撮影する際、光線がどの角度で入射し、物の影を作りながら形を形成しているのか、物の表情は陽の光にたえず影響しながら変化します。物質を構成する粒子は光の波長に影響されて微振動して、構造色を帯びて私の眼に入ってきました。感覚としては目が急速にミクロ化され物の表面に光の三原色が見えてくるというようなものでした。
それは全体が均等あるいは不均等な光の幕を形成して、別の面を持ちながら単なる「表面」とは違う『存在』を現したかのように空間を満たしていくようでした、それはまさしく物質が恍惚をし始めた瞬間でした。少しずつ微振動を開始して辺り一面に充満している感覚を受け、しかしそれは((そうなっているだろう。))という予測の上に起こっているという事も感じました。
写真は本来の『存在』を時間とともに記録し、それを・瞬間・という時間概念で保ち続けています、しかしその・瞬間・から過去になり、上書きを繰り返しながら時間概念という枠から外れ、そのもの達は;何処 ;かしらに移行し、それは単純に’’あの’’時間は’’そこ’’にしかないということに帰結するのかもしれません。
写真の『存在』とは、過去を新しく作るという相反している構造を持っています。写真は過去を作る事なのでしょうか。この疑問も日々反復され、(私は)今だに『存在』とはなにかを考えています。それはすぐ近くにあるのかもしれません。物を見て、撮影を介して印刷しまた物質に還す、物を物に移行させる行為の中でそれは少なからず進み広がり、物質としての写真、写真としての物質、という事についても分かるようになり新たな視点が写真、彫刻にも見えてきました。
只々創作をしていく中で、表現の主題が少しは見えてくるものかもしれません、しかしそれは自身でも掴む事は難しく、捉えようとしているものは日々変化しているようです。金属のように流動的に動き、動いては止まったり、ほんの一瞬、此方側に露呈したかと思うとまたすぐに消えていくような[もの]や[そこ]かもしれません。それがなんなのか、それは単に*光*と〜水〜で構成されているのかもしれません、しかし私はその光景をみて『『今立っている場所とは違う』』という事に気付けた事はとても重要な経験だと思っています。それに少しでも近付き触れてみたいという気持ちは日々変わらないでしょう。
最後にこの((時間達))の中に多くの方々と出会えた事に改めて気付かされました。大切なお時間を共有して頂いたことに感謝致します、ありがとうございました。全てにおいて美術作品と呼ばれるかは正直自信がありません。しかしこの((時間達))は本当に『存在』しているということだけは確かです。
これは工藤伸という人間のほんの少しの:記録:記念:記憶:です。楽しんで頂けたら幸いです。
2020年晩冬 ベルリン 工藤 伸
翻訳 宮原万智